福岡

ご挨拶

 

代表   ひさつぐ 芳(かおる)

事務所所在地  福岡市早良区百道1-17-24-301

TEL:092-834-3958

FAX:092-834-3959

 

 

 

プロフィール
1969年6月22日生まれ 
百道中・玄洋高・同志社大法学部卒

 

日本行政書士連合会登録番号  16401187
福岡県行政書士会登録番号   16041
入国管理局取次申請行政書士  (福)行16第24号
日本行政書士会連合会 著作権相談員
福岡県行政書士会 広報部副部長
福岡県行政書士会 西福岡支部 理事

 

NPO法人 あい愛サポート 理事

 

平成28年11月  特定行政書士研修課程 修了

 

大学で法律を専攻しました。
なぜ法学部にしたのかは受験時の成り行きです。あまり深く考えず、「法学部ならつぶしがきく」位の気持ちだったような気がします。

 

三浪して入学した大学は楽しく、大学内外で出来た友人とバイクでツーリングに行ったり、バイトに精を出したり、毎日の生活全てが新鮮でした。
もちろん勉強もしました。親元に成績表がしっかり送られているのを知っていましたから!
4年間で必要単位を取り卒業するために、1年生の時から計画を立てて授業を受けていました。そのおかげで無事に卒業することが出来ましたが、法律を先生方から体系的に教えて頂くにつれ、その社会的な重要性に気付き、「いつか法律を通じて人々を救う手助けが出来る仕事がしたい」という漠然とした思いを持つようになりました。

 

ただその思いとは裏腹に大学生活は矢のように通り過ぎていきます。思えばもう少し時間を大切に使えば良かったとも思うのですが、その時はなかなか気が付かないものです。
大学の中にはリクルートスーツを着てしっかり就職活動をしている者もいましたが、私は卒業間際まで就職するということに躊躇していたように思います。

 

そんなこんなで押し出されるトコロテンのように大学を卒業し、新聞で見つけた大阪の企業に就職。
2年間は資格試験の事も考えず忙しく梅田で働いておりました。それなりに成果は出しましたが、会社の方針や業務について納得が行かない日々でした。
ここで私を呼ぶように実家の母が急逝してしまいます。

 

私は3人兄弟の末っ子ですが、上の2人は東京と千葉で結婚し、完全に生活基盤を向こうに移していたため、自分が父のそばに戻る決意をしました。
働いていた会社に了解してもらえた為、会社を辞し福岡に帰郷。福岡で業務用冷蔵庫のメーカーにUターン就職しました。

 

あと、余談ですが、この退職・帰郷の間に結婚しました。妻は中学校の同級生です。
当然無職ですから、今から思えば妻のご両親はさぞ不安だったのではないかと思います。当の私達は全くそんな事考えていませんでしたが。若いって素晴らしい! 

 

仕事は面白かったです。最初は個店を対象とした直需の営業所にいましたが、すぐに法人を対象とする営業所に異動となり、同僚や上司に恵まれのびのびと仕事が出来ました。
営業予算を目標にして売り上げを構成する日々の中で、本当に沢山の事を教えて頂きました。

 

今でも心に刻んでいることがあります。
勤めていた会社の主なお取引先は房機器メーカー・冷凍機設備業などさまざまでした。営業でお会いする方々も専門の知識をもつ方ばかり。知識の量では到底かないません。お客様の前では正直に誠意を持って取り組みました。たとえ自社製品のことに関しても知らないことは「知りません」と工場設計やサービス部署に取り次ぎ、逆にお客様からも教えて頂くようにしていました。そのようなスタイルが逆に良かったのでしょう。今まで受注頂けなかったお取引先からも可愛がっていただき、徐々に拡販出来るようになっていきました。

 

ある時お取引先の社長様から言われたことがあります。「君は声だけ大きくて、ウチが発注しない時から『おはようございます!』って会社に入ってきてたなぁ。冷凍機のことは何も知らんかったけど、そんなことは関係ないんよ。朝礼の訓示で君のことを褒めたんだよ。」
「誠意」の大切さを仕事の中で知ることが出来ました。

 

11年この会社で法人営業に従事しました。勤めだして7年目位でしょうか?仕事も軌道に乗り、2人目の子供が幼稚園に行くようになる頃から昔の夢を考える余裕が出てきました。休みの日に大学時代の教科書を引っ張り出し、眺めたりしていました。またこの頃、不幸な子供達のニュースがやたらと耳につくようになりました。子供の虐待など辛い実情を聞くたびに「何か私でもできることがあるのでは?」との思いがますます強くなっていきました。

 

仕事も成果を出すことができ子供達も成長した2007年末より、資格試験の専門学校に仕事終わりで通いだしました。ここで私の背中を押してくれたのは妻でした。「出来るよ!カオルなら出来ると思う。」と言ってくれたので私も何か吹っ切れたように感じます。

 

この頃、私は課長職と営業所所長を兼務し、自分の予算を追いかけながら役職もこなすプレイングマネージャー的な立場になっていました。仕事をしながら授業を受講していたため、授業中に中座してお客様に電話をしたり、営業所の数字取りまとめや本社提出物の作成を同僚や部下にお願いしたりすることも多々ありました。
私自身の苦労は何でもないですが、仕事が忙しいことに反比例して業務が疎かになることが何よりいやでした。

 

こうして私は自分の夢や仕事の事を会社に伝え了解を得た上で、2008年9月に一念発起38歳で会社を希望退職しました。妻の代わりに家庭に入り資格試験の勉強をしながら家事・育児をする形になり、妻は私の代わりに就職し家族を支えてくれています。

 

妻や子供達、自分の夢のために退職する私を応援してくれた前職の会社の方々、友人やその他本当に沢山の方々に支えられ、助けてもらいながら平成27年度行政書士資格試験に合格することができました。

 

生まれて大学に入学するまで、また母の急逝からの帰郷後、ずっと福岡で暮らしてきました。小・中・高校時代からの友人や、仕事をするようになってお付き合いさせて頂いた方々、妻や子供のお友達、その周りにいる方々、何故だか本当に私は良い人の縁に恵まれています。いつも皆様から力を頂き、支えてもらってばかりですが、そんな方々が周りに沢山いてくれるのが私の唯一の自慢でもあります。

 

改めて私を支えて下さった皆様に御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
これから行政書士として少しでも皆様のお役に立つ事が出来ますよう、誠意を持って業務に取り組んで行く事が皆様への恩返しになると考えております。
また、将来的には子供達の未来を明るく照らす、背中を押してあげられるような何かを法律を通じてこの福岡でやりたいと考えています。幾つかプランはあるのですが、まずは私自身がそのレベルまで行くことを当面の目標として頑張ります。